自動車会社の営業マンの話|車とか任意保険とか

営業マンとして2年間ディーラーに出稿した経験が糧となった。

 

2年間という約束で、営業へ出稿。

 

「とりあえずここでやってみることにしよう」と渋々ながら決めたはいいが、やはり影響の最前線は甘くなかった。

 

満足のいく営業成績など残せるはずもなく、私は大阪の枚方になるディーラーで悶々とした日々を過ごしていた。

 

そんなわたしの数少ない救いといえば、富士重工業に入ってから趣味で始めたラリー競技であろう。

 

休日ともなればクルマのテストもかねて競技に出場し、沈みがちな気分を鼓舞していたのだが、ここでいろいろなオーナーたちと知り合うこととなる。

 

当時のスバルオーナーには学校の先生や、医師などの比較的、高学歴や高収入という人たちが多くいた。

 

さらにラリーといったモータースポーツにも増資が深い人たちとの出会いがあった。

 

するとわたしなりに「こういう人たちがスバルの重要なお客さんとなり、イメージリーダーにもなるんだ」ということが素肌感覚として理解できたのだ。

 

「彼らを納得させ、喜んでもらえるような車を作らなければならない。」ということがかわってきたのだ。

 

ラリーの現場、そして販売の最前線には車の開発現場では経験ができない、生の声に触れることができるのだ。

 

一方で、それほど車が知識があるわけではないが、スバルを信頼して乗ってくださるユーザーも数多くいる。

 

そういうユーザー層の具体的なイメージを得ることが出来るようになると「こんな車を作ったら、あの人はなんというだろうかあまり車に興味がない、あの人ならなんというだろうか」など、いろんな事を考えるようになっていく。

 

営業の世界が少しずつ楽しくなってきた。

 

さらに大阪には「ええ車やからスバルを買いに来たんや。問題やその先や、いくらにしてくれるんや」という価格ありきの、とても正直な人たちも多い。

 

そんな人たちにも満足してもらえるクルマ作りとは、どんなものだろうか?

 

自分なりに考えるようになっていくと不思議なもので最初は辛さばかりだった営業の世界が少しずつ楽しくなっていくのだ。

 

そして、「ディーラーの諸先輩や同僚」からは、一緒にお客様の家を回って、対応の仕方の手本を示してもらうなど、本当に損得抜きで気にかけてくれるのだ。

 

販売の最前線にいる彼らがスバルの車を信じて、自信を持って販売している現場に触れることは、車を開発する人間にとってえがい経験となった。

 

そしてあるとき、上司が「はよう群馬に帰って、ぎょうさん売れる、ええ車を作ってや」と言ってくれたのである。

 

2年の出向を終えて、まもなく群馬に戻ることになる私に対して、何よりも励ましの言葉であり、その後ずっとプレッシャーとして背負うことになる言葉であった。

 

さらに営業時代、わたしは元バレーボール全日本男子代表監督である松本さんの講演会で、ある言葉に触れた。

 

「お客さんを喜ばせるのがプロであり、自分の喜びのためにやるのがアマチュアだ」とうい言葉に私は感銘を受けたのだ。

 

今でも私が心に留めている大切な言葉である。

 

それと同時に、もしディーラーでの経験がなかったら技術士¥者として自己満足のまま過ごしていたかもしれない。

 

そしてわたしは営業に来たばかりの頃とは違い、とても前向きな気持ちで「少しでも早く群馬に戻り、もっといいクルマ作りがしたい」と思うようになっていた。